<鎌倉時代の考古学>
沼津井出で鎌倉時代の考古学的な発掘はほとんどない。
大泉寺でも阿野全成ゆかりの当時の品はない。
<阿野全成死後の阿野荘(浮島)>
●鎌倉時代:
次男頼高居住⇒四男時元の子孫が継承
●鎌倉時代末期:
1333年、足利尊氏の長男竹若丸が浮島ケ原で処刑
●戦国時代
1487年北条早雲が興国寺城をつくる
<さとし私見大事なこと>
「なぜ阿野全成の時代の考古学的発見がないか」
答え「地域が現役で動いていたからリサイクルされた」
よく勘違いされるのですが、
「京都へいけば平安時代を楽しめる」と考えがちです。
しかし、実は
「平安時代を楽しもうと考えたら、岩手県平泉へ」です。
全成の弟、義経が最後の時を迎えたところです。
平安時代の遺跡として有名なのは平泉、京都ではありません。
「なぜ岩手県平泉が世界遺産になったのか」
答え「千年の都があった平安時代の史跡がそのまま残っているから」
義経がうたれたあと、奥州藤原氏滅亡しました。
そのまま廃墟になったため、田園地帯になって埋もれてしまいました。
そのため、当時の都がそのまま残ったのです。
一方、「阿野館」は現役で活動する「フィールド」でした。
阿野荘(浮島)のランドマークである興国寺城は、
戦国時代の初期の史跡ですが、
北条早雲が興国寺城入りした時に、すでに街道があり、寺院があり、市がありました。
阿野荘、大泉寺周辺は地政学的に重要な拠点だったといえます。
平泉については、藤島亥治郎・藤島幸彦氏の研究を紹介します。
ちなみにさとしは早稲田大学時代に、
藤島幸彦先生に平泉・町家の研究を教えていただきました。
今でいうメディアミックスの手法で平泉を紹介するという「課題」が
阿野全成研究に生かされております…。