阿野全成とは何者か「玉葉」 その3 2022年6月14日編集

「玉葉」は関白九条兼実 の日記です。

寿永2年(1183年)11月6日条

「能保悪禅師の家に宿すと云々。頼朝の居を去ること一町許りと云々」

訳:一条能保(頼朝の姉妹の夫)が悪禅師の家に宿泊。(鎌倉の)頼朝の家から1.2キロのところ。

<さとし私見大事なこと>

すでに当時「悪禅師」の通り名でしられているということです。

つまり、1183年(30歳)より前に悪禅師たらしめる「実績がある」人物ということになります。

先の市河文書とあわせると、当時は源義経よりも、阿野全成のほうが有名人で、
「悪禅師」の名だけで「仕事」ができたと考えられます。

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